北九は空気が悪くて臭い。
墓参の通りがかり。暑かった。
さっと行ってさっと帰るつもりだったのだが、遠い遠い親戚のおばさまに見つかり、
「帰りに寄って、待ってるから」との言。(このおばさまは旧宅がまだあった頃、留守宅の管理を頼んでいたお爺さんの娘さん、このお爺さんは曾祖父さんの妹の子だったか??)
仕方なく、神棚のお参りだけでもと訪ねて行ったら、他のおじさまおばさま方集まってたよ・・・。
「今年は来られんのかねぇ、とみんなで話してた」って。
「来たときは寄って頂戴」とも・・・と云われてもなぁ、どのおじさまおばさまが、どういう系譜関係なのか、私ゃイマイチ把握できていないし、顔もうる覚え。
言ってしまえば、集落中親戚だらけだし、いずれももうかなりの遠縁なのだ。
皆様方は、私が爺さんそっくりだとかですぐ解るらしい・・・・。
爺様の義弟(少々ややこしいのでこの表現は妥当ではないかも知れない。正しくは爺さんの姉の息子で事情があり曾祖父さんの養子として籍を入れ、爺さん夫婦が育てた後分家させた)の娘にあたるおばさま宅を、これ迄の立ち寄り先にしていたのだが、
入院療養中にて、いきおい足は遠のき、縁は薄くなる。
「墓のことはみんなで守するから心配せんでいい」確かにそうらしい。
「ただ玄室の石扉だけは本家の者しか開けられんから・・・」そうでしたか・・・。
「戦時中は、供出逃れるため、村中の刀なんかを玄室に隠してもろうとったんよ・・・」だって。(と話したこのおじさまは、室町期に分家し近在某所の城持ちになった家の末裔だったと思う。長崎大村で戦闘機に乗ったり、岩国で水上艇乗ってたとか・・・雑話)
半地下に設えてある玄室は、人が7〜8人位は入れる程の広さがあるけれど、中には骨しかないから、持ち出すような物好きも居るまいと、門扉に鍵など掛けていないのだが、昔はキッチリ施錠していたらしい。
で、てっきり、誰でも墓参や掃除の時好きに開けているものとばかり思っていた。
おばさま宅尋ねる前、氏神サンのお参りに寄ったら、いつもは扉など閉ざしているのに珍しく開け放たれ灯明など点いていた。何かお祭りでもあったんですかと聞いたら、おばさまがtelしたんだと・・・・。
あわわ、僅かな賽銭ではなく玉串料供えておくべきだった。(^^ゞ
なんやかやあれこれ昔話等聞かされたのだが、荷送りがあるので帰らねばならぬと早々に退散。




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Last-modified: 2009-08-17 (月) 00:00:00 (5358d)