プログラム作りのため、サーバー設定を少々変更中。
結構手が掛かる。
そういえば、作り始めてもう2年位経っている。
あれこれ考えていると、考えも仕様も次第に煮詰まってくるのではあるけれど、
ちょっと時間掛けすぎ。
環境変化は概ね予想通りなのだが、まだ不明な部分が無きにしもあらず。
変える必要のない基本部分と、変化に対応する為の部分と、
使える技術と、使うべきでない技術の見切り。
自分自身が直接関わらなくても維持運営していける環境作りも先では必要だろう。
ざっと見直し、動かしてみると、ここ迄のところかなり完成度は高いと思うのだが、
各種データ登録処理の部分にまだ改善の余地があるように感じる。
勿論、iphoneからもアクセスし処理可能。
つまり、iphoneで目録作り出来るということ。
そう、炬燵に寝ころびながら目録作りできる。
10年前、いや5年前には考えられなかった環境。


ゴソゴソやっていて、以前警察学校で教鞭とられていた方から借りていた本が2冊でてきた。仲人して貰った方なのだが、もう亡くなられたので、返すこともできない。因島村上水軍の末裔。次男なので養子に出され島を出たとか。

以前聞いた話し、米子は暖房がない分網走より冬が厳しいらしい。
その米子から、正月仮出所して祖父宅に若頭連れて挨拶に来ていた、きょう政会山田某。
酒を運んだついでに酌をしたのだが、徳利があまりに熱く、つい若頭の差し出した手にこぼしてしまったことがある。
が、その若頭、指しだした手をぴくりとも動かさず、感心したものであった。
その後、本通りで「ボン」と呼び止められ珈琲に誘われ、その時のことをあれは熱かったと笑われた。
手土産に2人が持参したのが生牡蠣だったのだが、それに家族全員あたって2日ばかり寝込んだ事を話すと、えらく恐縮していた。
その後、この若頭が跡を継いだのだったか。
縁は異なものと云うが、オジキの3番目の嫁(伯母だが)この伯母が白島暮らししていた頃、先の仲人さんがまだぺーぺーで白島派出所勤務中大層可愛がって貰っていたらしい。被爆の時には一番に駆け付けてくれたり、被災証明持参してくれたりしたとか。
大陸に出征していたが足を撃たれ復員し、警察勤務するようになったらしい。
例のカミソリ後藤○とは書生同窓だったそうで、傷痍軍人会の世話などでは色々便宜はかって貰っていたらしい。

オジキといえば台湾で終戦を迎え引き揚げてきたのだが、地獄を見てきたというかちょっと掴み所のない部分があった。リコー(リコピー)の高松支店長から本社勤務命じられたのを機に退職し、広島に戻ってきて、会社を興し、それも途中でやめて、再び高松に行きそこで亡くなった。
爺さんに出征時「お前は殺されてもいいから人は殺すな」と云われたのはこのオジキで、ひどい親だと笑いながら語っていた。騎馬隊中佐だったか「いつも当たらん様に撃っていたから一人も殺していないが、撃たれて治療のため大陸から台湾に移され助かった」のだとか。「前からより後ろから撃たれる方が心配だった」とも語っていた。
趣味は万年青作りで、広島に居た頃は結構手伝わされた。
一人娘の従姉妹は才谷屋に嫁いだのだが、龍馬と縁戚にあるかどうかは定かでない。息子が2人。今はどうしているのか良くわからない。
そういえばオジキがもっていた猟銃はスライドアーム式5連装で、普通は水平2連が多いから珍しかったなぁ。
ガキの頃は良く弾作り手伝わさせられた。散弾の量や火薬の量計って、弾ごめし、キャップつけて絞める。
昨今では出来合買うのが普通だろうけど・・・・・。
いざという時のために熊撃ち用は必ず準備。散弾ではなくでっかい1個の鉛玉。
おかげで銃の手入れも一通りは覚えさせられたし、獲物のさばき方も一通りは心得ている。罠のしかけ方やら何やらも色々。勢子もしょっちゅうやらされた。
山鳥の足の爪って、何かの病気に効くんだったけど、なんだったっけ、もう忘れた。
猟犬の仕込み方も心得てはいるけど、一緒に山に行って折角獲物追い出しても獲らないのだから、あまり機嫌はよくなかったな。恨めしそうな目で見るんですわ。



トップ   編集 凍結解除 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2010-03-03 (水) 00:00:00 (5161d)